【セルジオ越後コラム】ビデオ導入できたら僕でも笛を吹ける - livedoor スポーツ

より正確に判定できる仕組みを考えることはそのスポーツの進化だ。
眼が悪ければ眼鏡をするし、2つの眼でたりなければ人を増やす。
これは、より正確にジャッジする為の1つの手段だ。
より正確なジャッジというのはスポーツでは常に求められるべきで、そもそも"審判のスキルを向上させる"目的と、"ビデオ判定を導入する"目的は 一致している。
スポーツの面白さを損ねないように導入すればよいのだ。

そのすべての試合にビデオ判定を導入しようとしたら、天文学的な数値のお金が必要になる。
だからどうしたと言わざるを得ないし、別に天文学的な数値のお金もかからない。
かといってビッグゲームだけ、たとえば今回のようなW杯予選などにだけ適用するというのでは、意味がない。
別に意味はあると思う。審判の人数だって、大きな大会だけ増えるでしょうに。

さらに言うと、レフェリーのレベルの低下にだってつながる。だって間違えたって、ビデオで確認すればいいのだから。そう考えたら、僕でも吹けるよ。きわどいものは全部ビデオで見ましょうで済むからね。
セルジオ越後が笛を吹ける事がなぜ駄目なのか不明。良いじゃないか。
レフリーなしの試合が可能ならそれだっていいじゃないか。
フェンシングだってそうできるだろうし。

ビデオ判定に不満を持つ人は、スポーツに対して保守的な立場なのだとは思う。審判がジャッジする事に面白さがあると本気で思っている。それを頭から否定するつもりは無いが、僕は審判がジャッジする事による面白さよりも、もっと大事な本質的な部分で面白さを追求するべきだと思う。それがスポーツの進化だと思う。
陸上だって、水泳だって勝敗は機械のジャッジに委ねられる部分は大きい。水泳なんて今のようなゴールの判定システムが無い時代にどうやって正確に1着を決めていたんだろうとか思うし。。


選手の努力や能力を一番無駄にしない為になによりも大事な事は、正確なジャッジなのだ。目立つべきは審判じゃなく、主役である選手なのだ。





と、こんな事を中学生のときに、担任の先生との交換日誌に書いた。
今もその思いは変わらない。